名前:May Okita
居住地:Westwood
経歴:
静岡県浜松市出身。医学部卒業後、千葉大学にて精神科医としてのトレーニングを積む。大学院在学中に夫の研究留学に合わせて渡米。出産・育児の傍らUSMLEを受験、ECFMG Certificate(米国医療資格)を取得し現在はUCLAのMood Clinic, Anxiety Clinicにて学びながら論文執筆や本の翻訳などを行っている。学生時代からジャズシンガーとして活動を始め、現在もL.A.在住のトップミュージシャン(Sara Gazarek, Tierney Suttonら)に師事し研鑽を積みながら音楽活動を続けている。
南カリフォルニア暦:3年
お子さんの年齢と性別:2歳(女の子)
Q:出産はどこでされましたか?(アメリカ/日本?)自然分娩/無痛分娩/帝王切開?何か出産時の面白いエピソードがあれば教えて下さい。
Ronald Reagan UCLA Medical Centerで出産をしました。主人に先にL.A.の生活を立ち上げてもらい、私が追いかける形で渡米したので、妊娠7ヶ月のときに大きな荷物を抱え一人で飛行機に乗って来たのは今ではよい思い出です。日本での検査のデータをすべて持参しましたが、もう一度詳しくエコー検査をする必要があると言われ、その時既に子どもがだいぶ大きくなってしまっていたためにアメリカでの最初のエコーの検査には2時間もかかりました。出産は無痛分娩だったのですが、いざというときにドクターと看護師さんが一人ずつしか手が空いておらず、横にいた主人が駆り出されました(笑)「あなたもできるでしょ」って言われて、彼も「え、俺がやるの・・・?」と微妙な顔をしながら腹をくくり(?)分娩が始まりました。研修医のころ赤ちゃんを取り上げた経験がこんなところで役に立つは思いませんでしたが、看護師さんが片足を持ってドクターが真ん中にたち、もう片方の足は主人に持ってもらって娘は生まれてきました。それが私たち3人家族の始まりでした。
Q:出産後何が一番変わりましたか?
子どものことが最優先のライフスタイルに変わりました。私がまだ日本で精神科医として働いていた妊娠初期の頃、症状が悪化した患者さんが幻聴や妄想の症状のために私の手を掴んだまま外来で暴れてしまったことがあり、その後、出血してしまったんです。結果的には大丈夫だったのですがあの時は流石に「これは流産しちゃったかな」と思いました。それまではいつも具合の悪い患者さんのことが最優先だったのが、初めて自分の子どものことが世界中でいちばん大切な存在になったのだと気づかされました。また、娘に「この人が自分の母親でよかった」と思ってもらえるようになろうという新しい目標ができました。
Q:育児ポリシーは何ですか?
(1)小さくても一人の人間として接すること。
何をして遊ぶか、どの洋服を着るか、常に子どもの気持ちや意思を聞き尊重することで自分の意見や考えを人に伝える力を持って欲しいと思っています。自分で考えることが好きな人になって欲しいです。
(2)Self-esteem(自己肯定感)を高く持てるようサポートをすること。
私たち親にとって世界でいちばん大切な存在だということを言葉や態度で伝え続けています。その上で、自分を客観的な視点から見ることができるようになり、バランスのよい上手な目標設定ができるようになってくれたら、そして、自分の考えや能力、自分が選んだ道、自分にとって大切な人たちを信じて行動できるようになってもらえたらと思います。
一方で、目標のために努力を惜しまず一生懸命何かに打ち込みやり抜くことができる仲間が世界にはたくさんいるのだということを子どもの頃から知ってもらいたいので、そのための機会を得るためのサポートは惜しまずにしたいと考えています。
Q:お子さん達はデイケア/プリスクールに通われていますか?(何歳からですか?日系ですか?現地校ですか?)
8ヶ月のころから週3日、現地のデイケア/プリスクールに通っています。
Q:仕事と育児のバランスについて。仕事をしていて良かったというエピソードは?逆に、仕事をしていて大変だったというエピソードは?
仕事や音楽活動をしていることで社会の中の自分の役割を認識でき、常に客観的な視点を持って家族を見ていられることはとてもよかったです。精神科医としての行動科学の知識や、歌や表現することが大好きなのは子育てにとても役立っているし、逆に子どもと過ごす時間の中で忘れかけていた小さな頃の感覚を思い出したり、新たに親として人を想うより深い視点を得られたことは、仕事や音楽に生きていると感じます。子どもがいなかったころと同じようなペースというわけにはいかないですが、今はこういう自分だからこそできることがあるのではないかと思うことができています。音楽の活動は比較的夜のイベントが多いのですが、本当に自分がやりたいと思うことだけを選んでいます。
Q:時間管理は大きなテーマかと思いますが、何か実践されていることはありますか?
自分の中の合格ラインを厳しくしすぎないことや、自分の気持ちや考えにしっかり向き合って自分の気持ちにフィットした選択をすること、自分の能力や持てる時間、得られるサポートなどを把握して、できないことははっきりとNOと言うこと、子育てや家事を自分自身も一緒に楽しめるように工夫することなどでしょうか。
Q:旦那さんとの子育て分担はどのようにされていますか?
基本的に平日はほとんど私が主に子どものことをしていますが、主人は仕事の多忙さを考えればとても協力的な方だと思います。家事も育児も特に決め事はしていないのですが、気づいたときに気づいたことを手伝ってくれていますし、月に2回は一人で自由に過ごせる時間を作ってくれています。ライブを観に出かけたり、自分の音楽活動を続けられるのは彼と娘のおかげです。
Q:アメリカでの育児で大変だったエピソードは?その困難をどのように乗り越えましたか?
デイケアに娘を預け始めたばかりの頃、娘はせっかく覚えた日本語が全く通じないことにかなりフラストレーションを感じていたようで、しばらく辛そうにしていました。その時は、何か一つ彼女が自信を持てることを作ってあげたいと考え、娘は歌が好きだったのでアメリカの童謡を一緒に覚えるようにしました。徐々に彼女はサークルタイムやMusicのレッスンの時間にそれを披露するようになって「英語はあまりしゃべれないけれど歌が上手な子」としてお友達に覚えてもらえるようになったようです。今では、同じ年齢のお友達が娘の手を引いて歩いては物の名前を英語で教えてくれるようになり、本人も日本語と英語を使い分けられるようになって、デイケアにも楽しく通ってくれています。他にも、第二言語での子育てというのは自分が知らない現地のローカルルールみたいなものなど小さなトラップがいっぱいあるように思うので、何か気付くたびに私たち親もよく考え、その時の最善を尽くすように心がけています。
Q:バイリンガル/トライリンガルになるように特別にしていることはありますか?
私自身は小学校高学年になるまで英語に触れたことがほとんどなかったので、自分がやったことのないことを娘にさせているというこの現状をまずは自分が認識して彼女に負荷をかけすぎないようにしたいと思っています。何か新しいことを学ばせる時は、それをやることの意味や面白さを伝えたり、小さな成功体験を得られるようにしています。もう少し具体的には、0歳の頃から毎晩日本語の絵本の読み聞かせをできるだけたくさんしています。バイリンガル育児系の本を一通り読んで母語をしっかり習得することが大事だと知ったので、せがまれれば何回でも、何十冊でも私か主人のどちらかが付き合うことにしています。幸い、娘は本が大好きになってくれたのですが、日本語が上達するほど、英語も伸びていくように感じます。あとは、本人の話をできるだけ向かい合ってよく聞いたり、日本語でのMommy&Meや習い事、プレイデートや祖父母とのスカイプや絵手紙など親以外の人と日本語で話す時間を積極的に作っています。
Q:お子さんと一緒に行くオススメ地元スポットを二つ教えて下さい。
Westwood Parkはとても広く、遊具もたくさんあって大好きな公園です。ここではあまり時間を気にせずのびのびと遊ぶことにしていて、娘も毎回楽しみにしています。あと、市内のあちこちにあるトレイルに家族でハイキングに行くのが好きです。主人が背負子に娘を乗せて、3人でショートコースを歩きます。小高い場所から見るL.A.の景色は最高です!大都会なのにすぐ近くに海も山もあって身近に自然を感じられるところがとても気に入っています。
Q:好きな子供ブランドはどこですか?(どの年齢の子どもでも構いませんので、プレママに是非お勧めしたいブランド)
Gymboreeの洋服はデザインが可愛くて娘も好きなようです。最近は自分で選んでくれます。
Q:趣味は何ですか?
もともと音楽が趣味だったのですが、今はライフワークとして取り組んでいるので、今趣味と呼べるのは料理やパン作りかな、と言う感じです。週末はファーマーズマーケットで新鮮な野菜を買って、のんびり気ままに料理やパンを作ります。他にはブログで自分の大好きな歌の先生や尊敬するミュージシャンのことを日本語で紹介したりもしています。オンオフの切り替えは大事だとは思うのですが、自分のことについてはあんまりオンとかオフっていう意識はありません。基本的に今は本当にやりたいことだけ選ばせてもらっているので、子育ても仕事も音楽もすべてやりたくて選んだもの、という感じです。
Q:今後の夢は何ですか?
まずは家族全員の夢を一つずつ叶えることです。私は家族とは一つのチームみたいなものだと思っています。それぞれがみんな生き生きしていられるにはどうしたらよいのかを一番バランスよく見ていられるのが母親なのかなとも思います。私個人の夢は、自分の持てる力を人の役に立つ形にして、変化を起こしていくこと。例えば、仕事では、精神科の最善の治療法やアイディアが必要な人に届くようにするお手伝いをすること。アメリカの最先端の治療現場で使われているテキストや本を日本語にして出版することなどもその一つです。精神科のクリニックや病院に行くのにまだまだ抵抗を感じている人に、安心して取り組める治療法があり、通える場所があると思っていただけるようにしたいです。音楽活動でも、聴いてくださる方の心に、優しい気持ちや気づき、温かいメッセージを、自然な形で届けたいです。ジャズはマイナーなジャンルなのですが、とても人間的で魅力的な音楽なので、同じような志のある仲間と一緒にジャズや生演奏の音楽を聴いてくれる方を増やしていくこと、歌が大好きな人がみんなで安心して楽しめるような環境を作っていくことも今後の目標です。
【インタビューを終えて】
精神科医として、またジャズシンガーとしても活動をされているMayさん。「まずは家族全員の夢を一つずつ叶えることです。私は家族とは一つのチームみたいなものだと思っています。それぞれがみんな生き生きしていられるにはどうしたらよいのかを一番バランスよく見ていられるのが母親なのかなとも思います」という言葉が特に印象的でした。精神科医としても、ジャズシンガーとしても夢を持って叶え続けている姿。子育てから学び、仕事から学んで相互に生かしていかれている姿。娘さんが自己肯定感を高く持てるような子育て、温かい心と笑顔で娘さんを常に見守り話しかけている姿からは学ぶことが多くあります。素晴らしい彼女のシンガーとしての活動をサイトで是非チェックしてみて下さい。今回はインタビューにご協力大変有り難うございました!