お名前:石山園子
居住地:オレンジカウンティー・サイプレス
経歴
千葉県浦安市出身。日本で大学在学中、夏休みを利用してロサンゼルスに短期留学を経験し、卒業後に移住を目的に渡米。出版社にて営業職として10年、ライター兼編集者として5年従事しました。その後、フリーランスの時期を経て、現在は基礎化粧品の会社にて、同じくライター兼編集者として働いて4年になります。今まで働いていた会社は、ラジオ番組を放送していたり、イベントなどもたくさん企画運営していたりしたこともあり、ラジオのDJ、コマーシャルのボイスオーバー、プロモーションビデオのナレーションやイベントの司会業なども経験があります。コスメトロジストの資格を取ったことを機に、細々とですがネイル関係の仕事もしていました。
南カリフォルニア暦:19年
お子さんの年齢と性別:2016年9月生まれ(8ヶ月)の女の子
Q:出産はどこでされましたか?(アメリカ/日本?)自然分娩/無痛分娩/帝王切開?何か出産時の面白いエピソードがあれば教えて下さい。
アメリカ、ニューポートビーチのホグ・ホスピタルにて。高齢出産だったため、予定日を過ぎてしまうと危険のリスクが高まるということで、陣痛促進剤を投与して予定日前日に出産することが決まっていました。ところが、予約をしていた午前9時は病院側で出産ラッシュ。ベッドに空きがないということで自宅待機ということになりました。およそ10時間後に病院が落ち着いたとのことで、チェックイン。そこから書類のサインや着替えなどを済ませて、陣痛促進剤が打たれたのが夜の11時を回っていました。無痛は打たずに出産したいと希望していたのですが、5時間経ってもまだ子宮口が充分に開いておらず、陣痛の苦しさにこれ以上耐えられる気力と体力がなくなり無痛分娩を選びました。
その時点ですでに明け方4時を回っていたので、無痛を打って痛みが引いたら眠気が襲ってきました。およそ2時間ほど睡眠を取ったところで子宮口がしっかり開いたので、プッシュを開始。そこからはおよそ1時間ほどで無事出産を終えました。
今考えると、私の予定日はちょうど3連休の真っ最中。「高齢出産だからリスクが高い」というのはもちろんウソではないと思うのですが、きっと、お休み中に呼び出しをされたくなかったドクターが、ささっと出産させてしまいたかったというのも理由だったのでは?と思っています。アメリカならあるある話ですよね(笑)。でも、いつ来るかわからない陣痛や破水を待つより、落ち着いて行動できたので、結果的には良かったと思っています。
Q:出産後何が一番変わりましたか?
私自身、比較的なんでもサクサクとこなす「しっかりさん」タイプだったのですが、出産後は溢れかえるほどのやることの多さに、どうも「うっかりさん」になってきているのを実感しています。私は、40歳で妊娠して、41歳で出産しました。母になることは長年の夢でしたし、歳を重ねてからの子育てであることから、ある程度落ち着いてできるだろうと考えていました。ところが、それでもなかなか思うようにできず、日々奮闘しています。ですが、以前はどちらかというと完璧こなさないと気が済まないところがありましたが、「慌てない」「焦らない」「なんとかなるさ」とおおらかに構えられるようになった気がします。
Q:育児ポリシーは何ですか?
ポリシーというほどきちっとしたことはあまり意識していないのですが、愛情をたっぷり感じ取ってもらえるよう、笑顔とポジティブな語りかけを心かげています。「いい子だね」「可愛いね」「だーい好き」「ありがとね」は一日に何百回と伝えるようにしているのですが、少しグズリ始めても、この言葉を語りかけるとピタッと止まり、笑顔を見せてくれます。
Q:お子さん達はデイケア/プリスクールに通われていますか?(何歳からですか?日系ですか?現地校ですか?)
アメリカ系のデイケアに3ヶ月から通っています。
Q:仕事と育児のバランスについて。仕事をしていて良かったというエピソードは?逆に、仕事をしていて大変だったというエピソードは?
仕事復帰の初日は、離れるのが辛くて車の中で涙を流したりしましたが、やはり「一日中ずっと一緒よりも、働きに出ている方が息抜きできてる」という先輩ママたちの言葉は、きっとその通りなんだろうと思っています。抱っこ、授乳、ダイパーチェンジの繰り返しでからきていた腕、背中や腰の痛みが、仕事復職後にはすっかりなくなったので、そういう意味でも楽をさせてもらってるのかなと実感しています。
ただし、母乳で通したいという私の希望もあって会社での4回の搾乳をこなしたり、お迎えのために仕事が少し中途半端であっても切り上げて出なくてはいけないという慌ただしさなど、なかなか落ち着いた生活を送れないので悩みどころです。
Q:時間管理は大きなテーマかと思いますが、何か実践されていることはありますか?
忙しかったり、疲れていても、起きる、寝る、食べる、お風呂に入る(入れる)というのを、できるだけ毎日同じ時間割で動くようにしています。ルーティンが決まっていて、それがきちんと守られることで、お腹が空く、眠くなるなど赤ちゃんが欲する流れも読めるようになるので、グズったり泣き出したりする前に欲しいものを与えることができているのかなと思います。それによって、あやしたり、寝かしつけたりする必要がないので、結果、大きな時間の節約になっていると実感しています。
Q:旦那さんとの子育て分担はどのようにされていますか?
どちらがこれをという役割分担は特にしていません。基本的には私が全てやりたいので、やりたいようにやらせてもらって、手が足りないと感じた時に手伝ってもらうような形を取っています。例えば私が家事をしている時などには、彼が見るという感じでしょうか。率先して何かをしてくれるタイプの人ではないのですが、「これお願いできるかしら?」と頼むと、「もちろん!」と張り切ってやってくれるので、ありがたいなと感じています。
Q:アメリカでの育児で大変だったエピソードは?その困難をどのように乗り越えましたか?
毎日全てが手探りですが、アメリカだから大変というのは特に今のところは感じていません。それよりは、妊娠、出産までの時期がある意味、気持ち的に大変だったように思います。
私は、子どもはいつか欲しいと思いながらも、仕事や自分のやりたいことを優先する人生を送って来て、35歳を過ぎた頃からやっと妊娠を意識し始めました。とはいうものの、結婚もしていませんでしたし、金銭的にも準備万端というわけでもありませんでした。これからそれらの状況を整えて、妊活を開始したとしても、すぐに授かる保証もないわけですよね。誕生日が来るたびに、「また一つ年齢を重ねてしまった…」と落ち込むこともありました。周りのお友達が妊娠したというニュースは、もちろん心から祝福したいという思いと、変わらない自分の状況への焦りとの間で、いつも複雑な気持ちだったのをよく覚えています。
それでも子どもを持たない人生というのがどうしても考えられなかったので、好きなお酒を控えたり、定期的に体を動かすなど、少しでも体年齢を若く保ち、「産める体づくり」を自分なりに心がけました。そして40歳を過ぎましたが、なんとか自然妊娠で授かることができました。非常に恵まれてると実感しています。
出産には、母が日本から来てくれることになっていたのですが、出産の2週間前に父が急に亡くなるという予想外の出来事が起こりました。時期が時期だったため私は飛行機に乗ることもできず、最愛の父を見送るお葬式にも参列することができませんでした。父はとても子ども好きな人で、どんな子でもあやすのがとても上手な人でした。だから、娘を父に抱いてもらいたかったという想いがどうしても心から離れないですね。でも、娘はグズったり、夜泣きを全然しない子で、驚くほど手がかからないんです。それはきっと、父がいつも私たちの周りにいてくれて、娘をあやしてくれているからなのかなと思っています。
Q:バイリンガル/トライリンガルになるように特別にしていることはありますか?
家庭が英語なので、できるだけ私は日本語で話しかけるようにしています。それでも日中は離れ離れでアメリカのデイケアに通っていますから、圧倒的に英語の時間が多いですよね。だから、いずれは日本語のデイケアやプリスクールに入れて、日本語に少しでも触れる機会を増やしてあげたいなと思っています。
Q:お子さんと一緒に行くオススメ地元スポットを二つ教えて下さい。
まだ歩いていないので、週末は娘を遊ばせるための場所に行くというよりは、私たち大人の用事に連れて行くだけというケースが多いですね。近所に、乗馬のできる場所があるのですが、お馬さんを見に時々立ち寄ったりします。あとは、歩いて行ける距離に公園がたくさんあるので、そこまでのんびり散歩をしたりする程度でしょうか。
Q:好きな子供ブランドはどこですか?(どの年齢の子どもでも構いませんので、プレママに是非お勧めしたいブランド)
H&M。このくらいの月齢は何度も着ずにサイズが合わなくなってしまうので、格安であることが私とっては鉄則。リーズナブルで、デザインも可愛いものがたくさんあるので、オンラインでどんどん買ってしまっています。
Q:趣味は何ですか?
今は子育てかな?もう夢中です!!
Q:今後の夢は何ですか?
Super Momになること。母として、仕事人として、そしてパートナーとして、全てをパーフェクトにこなす魅力的な女性になりたいですね。あとは、前述のように私は高齢出産で娘を授かりました。同じように妊娠を望む方や授かった方たちとお話がしたい、繋がりたいという思いがあります。何かそういう機会やグループを作れたらいいなと密かに思ったりしているのですが、ついついバタバタとした毎日に追われて、なかなか行動に起こせないですね…(苦笑)。
【インタビューを終えて】
高齢出産で娘さんを授かった経緯と想いをさらけ出してお話してくれた園子さん。今回のインタビューは、私にとってとても特別なものとなりました。子どもの命は生まれた時でも、命を授かった時でもなくて、そのずっと前の母親が子どもが欲しいと願った時から始まっているんだなとそんな事を感じずにはいられませんでした。娘さん誕生の二週間前にして亡くなったお父様のお話しには涙が止まらず、そしてお父様は元気にスクスク育っていってる娘さんの中にきっと生きていていると思いながら命の繋がりを感じていました。今後は同じような境遇の妊娠を望む人達、授かったか人達とつながりたい!いう彼女の思いがいつかカタチになって欲しいなと思っています。今回はインタビューのご協力本当に有難うございました!