名前:松田あずさ
居住地:Glendale
経歴:
東京生まれ、2歳で神戸に引っ越し、12歳で広島の全寮制の中学校へ、15 歳まで広島の山奥で過ごしました。精神科医になりたくて中学卒業と共にサンフランシスコの北にある全寮制の高校へ留学し、卒業までサンタローザの田舎でカイヤックをしながら過ごし、高校卒業後はサンフランシスコへ移り都会の生活を2年楽しむものの、今度はフレゾノの田舎に移り、オフロードバイクとキャンプに熱中しました。その後は学業に専念する為にリバーサイドの大学へ籍を移し、心理学などのクラスを取りながら、先生も生徒もみんな少し精神的におかしい事が気になり、一生の職にしたいと思えず精神科医の道は諦め、普通に就職する事にしました。就職と共にダウンタウンへ引っ越し。間取りを見るのが趣味で、2年に一度の割合で引っ越ししていました。南カリフォルニアで住んだのは、リバーサイド、コロナ、フラトン、コリアタウン、ガーデナ、トーランス、エンシノ、スタジオシティーを経て、現在グレンデール在住。仕事も日本とアメリカの架け橋になるような仕事が好きで、旅行、飲食、ダンススタジオ経営、医療、翻訳などを経て、現在はエンターテインメント関係に従事しています。
南カリフォルニア暦:27年
お子さんの年齢と性別:10歳(女の子)
Q:出産はどこでされましたか?(アメリカ/日本?)自然分娩/無痛分娩/帝王切開?何か出産時の面白いエピソードがあれば教えて下さい。
出産はトーランスの病院です。フルタイムで仕事をしながらの出産で、諸事情の為、産休は取らなかった(取れなかった)ので、無痛分娩の計画出産を選びました。月曜日に出産し、水曜日には退院、そのまま自宅で仕事というスケジュールで、朝の6時にチェックインし、8時頃から促進剤を使い、11時半には出産していたので、とてもスムーズでしたが、産後の高血圧で手の甲にした点滴が出産よりも痛かったのを覚えています。産後の食欲に我ながら驚きました。
Q:出産後何が一番変わりましたか?
性格がおおらかになりました。以前は時間の使い方について割と神経質だったのですが、子供が出来て何事も計画通りに行かないことに腹をたててストレスを感じるよりは、フレキシブルに対応していくことを学びました。また、両親に対する尊敬が強まり、私自身の人生についてもより真剣に考えるようになりました。
Q:育児ポリシーは何ですか?
育児は育自。子供を通して自分自身も常に成長しながら、子供を使って自分のやり残したことや夢を実現するのではなく、子供の個、素質を尊重し、自分で考えて生きていける、世の中の為になる個人を育てたいと思っています。あとは感情的に怒ったり、グチグチ言わず、ユーモアをもって接するように心がけています。子供が小さかった頃は母乳で育てると言うことと、本人が要らないと感じるまで無理に卒乳させないということです。これを言うととても驚かれるのですが、小児科の先生もLa Leche Leagueに賛成していて、娘は3歳すぎてもオッパイ、、という感じでしたが、精神的なニーズがあってこそだったので、無理に卒乳させませんでした。結果的にとてもよかったと思います。これは生涯通じると思うのですが、世間的になんと言われていても子供のニーズは親にしか分からないので、周りのプレッシャーに負けず、子供を信じて一番よい対応をするのが大事だと思います。
Q:お子さん達はデイケア/プリスクールに通われていますか?(何歳からですか?日系ですか?現地校ですか?)
産休をとらなかったので、生後3ヶ月からパートタイムでデイケアを始めました。(週三日、半日から)サウスベイに住んでいた頃は日系のデイケアで、乳児に対するケアや親とのコミュニケーションがきめ細かくて安心でした。その後バレーに引っ越してからは現地のデイケアに行き、そのまま現地のプリスクールへ通い、現在は現地の小学校ですが、グレンデールの日本語イマージョンプログラムに通っています。
Q:仕事と育児のバランスについて。仕事をしていて良かったというエピソードは?逆に、仕事をしていて大変だったというエピソードは?
仕事と育自のバランスについてはいつも悩むところで、これが正解!と思ったことはまだありません。仕事がノっていて楽しい時は育児をないがしろにしているのではないかと心配になり、育児に集中しすぎると仕事をおろそかにしていないかと心配になります。(笑) 仕事柄、会食や出張などで家を開けることが多いのですが、シングルマザーなので、学校の行事や、週末のサッカーの試合や、習い事に関して、シッターさんや娘の父親との細かい手配が大変です。
仕事をして良かったと思うことは、私が手がけたイベントや作品を娘がみて、夢中になり日本語や日本の文化に関してもっと関心をもってくれることです。私の娘だけではなく、彼女と同年代の子供たちもそういう風に感じてくれているのを見ると励みになります。
Q:時間管理は大きなテーマかと思いますが、何か実践されていることはありますか?
良いアイデアがあれば、ぜひ知りたいです!(笑)いつも時間に追われているような気がするので、もっとしっかり管理したいのですが、仕事と育児と趣味との間で1日24時間ではとてもたりません。娘は10歳になり、しっかりしてきたので、自分のことはもちろん、広い範囲で家事も手伝ってくれるようになったので、だんだん楽になってきたと思いますが、子供が小さいうちは突発的なことも多いので逆に管理しないぐらいの気持ちの方が楽かもしれませんね。私の場合はシッターさんに預けている時間帯はしっかり仕事に集中して家に帰ってから娘が寝るまでは娘との時間に集中して、寝てからまた自分の時間、、とメリハリをつけるように努力しています。
Q:旦那さんとの子育て分担はどのようにされていますか?
出産から離婚するまで、全部私が子育てをしていました。現在は親権をシェアしているので、娘は隔週で行ったり来たりで、以前にくらべて自分の時間が劇的に増えました。学校に関する書類や行事、習い事などは引き続き私が主導権を持ち決定しています。
Q:アメリカでの育児で大変だったエピソードは?その困難をどのように乗り越えましたか?
両親が近くにいないので、急なことで頼れないというのは大変かな、と思いますが、シッターさんや、お友達のママさんなどに助けてもらったりして、コミュニティーのありがたさを感じています。
Q:バイリンガル/トライリンガルになるように特別にしていることはありますか?
小学校は日本語と英語のイマージョンプログラムに入れました。バイリンガルというのはただ喋れるだけではなく、読み書きもできてこそ役にたつと思うので、家だけでは難しいと思い、また週末の補習校なども家での本人と私の負担が大きく、サッカーなどのスポーツをしたいという本人の希望があったので、イマージョンプログラムの為にグレンデールに引っ越しました。
学校の外では、言語は本人に興味がないとどうにもならないと思うので、楽しく覚えられるように、娘の興味があることを通じてサポートしています。例えば、漫画が好きなので、漫画も日本語であればOKとか、アニメも日本語であればOKとか、音楽が好きなので日本の音楽を一緒に聞いたり、意識的に取り入れるようにしています。ただ受け身なのではなくて、自分の興味がある事を伝えたり、共感することが大事だと思うので、娘が好きな作品を一緒に見たり、あらすじだけでも掻い摘んで勉強してみたりして、一緒に話すとか、音楽を一緒に聞いて感想を言い合ったりとかしています。
Q:お子さんと一緒に行くオススメ地元スポットを二つ教えて下さい。
LACMAやGetty Centerのようなミュージアムは、ブラブラしによく行きます。あとはParadise Coveやマリブなどのビーチも良いですね。食べるのが好きなので美味しいレストランやカフェがある所が良いです。(笑)
Q:好きな子供ブランドはどこですか?
Hanna Andersonは素材も良く、合わせやすいので、好きです。小さい時はすぐに成長するので、ユニクロやGapを愛用していました。Janie and Jackも素敵なのですがお高めなので、セール時を狙って購入していましたが、現在はもっぱらサッカー用のジャージとTシャツが主になってしまい、寂しい限りです。
Q:趣味は何ですか?
漫画、音楽、書くこと、旅行、人間観察、美味しいものを食べること、パーティーを企画すること。(定期的に”漫画を読む淑女の会”を開催しています。)建築物やインテリアの鑑賞。美術館めぐり。レゴやパズルなどの細かい作業。DSやWiiで遊ぶこと。
Q:今後の夢は何ですか?
女性の為の塾を作りたいです。DVで困っている人などの一人立ちを支援したり、育児でストレスを感じている人のサポートグループを作ったり、女性の経済的/精神的自立の為の啓蒙活動をしたいのと、古い6棟ぐらいのアパートを買って、それを自分の好みのインテリアでフィックスして大家さんになって、湿気の少ない暖かいところで隠居生活を送りたいです。
【インタビューを終えて】
インタビューには娘さんと一緒に来てくれたのですが、お二人がお互いにリスペクトやいい距離感を持って接している様子を見て、あずささんの子育てが素晴らしいんだろうなあと感じました。子どもに直球の質問をしてもなかなか答えは返ってこないから、ムダ話と思われるような話でもとにかく沢山することで、娘さんの気持ちを聞き出しているそうで、それも二人の良好な仲の秘訣なのかもしれないと思いました。離婚してシングルマザーになったお話も聞かせてもたったのですが、とにかく今を楽しんでいる前向きでエネルギッシュなコメントを頂き、娘さんの成長を楽しみながらも、母娘共に興味のあるエンターテイメント業界で日本とアメリカの架け橋になるローカライゼーションの仕事を楽しんでいて、これからも叶えていきたい夢があると語ってくれる彼女が本当に眩しく見えました。今回はインタビューのご協力本当に有り難うございました!