名前:中垣瑞穂
居住地:Irvine
経歴:
長崎県出身。日本で4年制女子大を卒業後、5年間働いて、職場で出会った主人と結婚してアーバインに移住してきました。こちらでは市のアダルトスクールでESLに少し通い、その後は日系の電子部品会社で7年エグゼクティブアシスタントからセールスまで色々とこなしました。主人のレイオフを機に、渡米後9年でまた日本に戻ることになり、川崎市に移住しました。生活が落ち着いて米系の眼科製品を扱う会社に正社員で就職したものの、アーバイン在住の主人の母が倒れアメリカに戻ることになったので、わずか3ヶ月で退職することに。わずか7ヶ月の日本生活の後アメリカに戻り、半年ほど義母の介護と病院や施設の手続き等に奔走し、その後スタートアップの眼科医療機器の会社に就職し、クリニカル・リサーチの仕事をしています。
子供さんの性別と年齢:4歳(男の子)、2歳(女の子)
南カリフォルニア暦:足掛け14年ほど
Q:出産はアメリカ/日本ですか?自然分娩/無痛分娩/帝王切開ですか?
出産はアメリカで、この辺では珍しくUCIです。もともと通っていた不妊治療院の先生が子宮筋腫のことを心配して下さっていて、たまたま次の体外受精のために血液検査に行ったところhCGが陽性だった(自然妊娠、しかも前回の体外受精で繋留流産の1ヵ月後)、という流れだったので、その先生が親しくされているハイリスク妊娠の専門の先生に紹介状を書いて下さったのがきっかけです。子宮筋腫は最大のもので13cmくらいまで大きくなり、20週頃に3回くらい痛みました。なぜか2人目のときは子宮筋腫もあまり大きくならず痛みもひどくなかったです。ちなみに、2人目妊娠のタイミングもおかしくて、1人目も落ち着いたし、子宮筋腫切除の手術をしようと超音波を予約したところで発覚しました。結婚10年ほど妊娠の兆しがなかったので、まさかもう一度自然妊娠するとは思っていませんでした。1人目の出産の話に戻りますと、子宮筋腫の位置は出産の邪魔にならない位置にあるので普通分娩で行けるかも?と言われていました。予定日ちょうどに陣痛が来て、検診も入っていたのでとりあえずそっちに行ったのですが、思わず痛みで立ち止まってしまった私に「早く病院に行きなさいよ。。。」と看護婦さんが呆れ顔でした。即入院して途中まで順調だったのですが、エピドリルを入れた途端に胎児心拍が下がり、病室が医療ドラマさながらのドタバタ劇に。手術室に運ばれ、緊急帝王切開になりました。夫は立ち会う気満々だったのですが、部分麻酔を足してもなかなか効かず全身麻酔導入になってしまい、結局手術室の外でした。目が覚めると病室だったのですが、夫が赤ん坊を抱っこしているのを見たときは、今までおなかの中にいたのがもうすっかり独立したんだな、と不思議な気持ちになりました。2人目は、1人目のときに経験した陣痛と帝王切開の痛みを比較して、帝王切開を選びました。陣痛の痛みは怖くて(笑)一応、日本から両親に応援に来てもらうので、日付が決まっていた方がいいから、というのが当時の口実です。
Q:出産後、何が一番変わりましたか?
希望が生まれました。施設でほぼ寝たきりになった義母が毎週のようにERに運ばれるのでよく呼び出され、嵩む医療費にストレスが最高潮!という中で体外受精に踏み切りました。2回の体外受精は成功しませんでしたが、その直後に自然妊娠しました。義母、夫、私の3人だけの小さな家族で、これ以上誰かの面倒を見るのは無理!という状況だったはずなのに、子育ては本当に「別腹」でした。大人3人で暗かったんですが、一気に明るくなりました。
Q:育児ポリシーを教えて下さい。
正直、自分が育った環境とは全く違う環境で子供を育てていかなくてはならないので、ポリシーみたいなものを打ち立てるのがすごく難しい立場にあると思います。私自身、英語や外国の文化とは無縁の日本の片田舎で育ち、姉妹しかいないので兄妹がどういう風に一緒に育っていくのか見当がつきません。うちの母も夫の母も専業主婦で子供を生んだのも早かったので、高齢出産で働くママ、という母親像ってどんなものだろう?とか。そんな中で、今子供たちが小さいうちに目指せるのはとにかく「楽しく!仲良く!」かなあと。最近周りの人に勧められてOutliersという本を読んでいますが、副題にあるStory of Successというより、アメリカで子供が育つ環境とはどんなものなのか、日本文化を背負ってアメリカで生きていくために何が必要なのか、重要な示唆に富んでいる本だと思いました。これから親としてどんどん学んでいかななければならないと思っています。そういう意味では、月並みですが育児は育自、ですね。
Q:お父さんとの子育ての分担はどのようにしていますか?
家事は得意分野優先で折半しています。夫は食器洗い、洗濯、私は料理、買出し、という感じで。子育ては特に分担は意識せず、手の空いたほうが面倒を見る感じでしょうか。
Q:お子さんは何歳からデイケア/プリスクールに行き始めましたか?(なぜそのタイミングでしたか?)
1人目は4ヶ月フルタイムで、2人目は2ヶ月から徐々に日本語のデイケアに行き始めました。すごく良いデイケアで、教えてもらったり助けてもらったりすることが多くて信頼できていました。2人目(娘)はやはり同性同士あうんの呼吸というか、「この子は大丈夫だ」という直感があり、私自身も早めに仕事に復帰する方が性にあっているというのもありました。やはり大きくなってくると兄はおっとり、妹はちゃきちゃきなので、持って生まれたものはそう簡単に変わらないものなんだな、と思います。上の子は現地校に入学する準備として、9月から週2回地元のPre-Kプログラムに行かせる予定です。
Q:仕事をしていて良かったと思うエピソードは?逆に大変だったエピソードは?
忙しいのでお金の心配に気をとられないことでしょうか(苦笑)大変なのは、1人の時はそれなりに余裕を持って子育てできていたと思うのですが、2人目が生まれてから時間的なやりくりが難しくなりました。しかも、年齢が2歳しか離れていないので今のところは2人とも手がかかる感じです。
Q:アメリカでの育児で大変だったエピソードは?その困難をどのように乗り越えましたか?
子育て直前に日本に住む機会があり、色々と考えさせられました。友人や仕事探しでお世話になったリクルーターさん達に日本でフルタイムで働きながら子育てをする大変さを聞いていたので、その点ではアメリカではのびのびと子育てができて有難いと心から思います。アメリカに来た当初はこのワークスタイルの”ゆるさ”に驚愕したものの、今となってはしっかりどっぷりハマっています。親戚が周りにいないので気軽に手伝ってもらえないのが大変といえば大変ですが、一時的にお料理してくれる人を雇ったり、子供たちの通っているデイケアの先生方にベビーシッターをお願いしたり、何とかやりくりしてきました。
Q:バイリンガルになるように育児で意識していることはありますか?
夫が日系3世で日本にも住んだ経験があるので日本語を話せるため、今は家の中ではテレビも含めてほぼ100%日本語です。夫は大学卒業して日本に行くまで日本語は全く話せませんでしたが、その後日本が好きになって日本語を覚えたクチなので、子供達も日本に興味が出れば日本語を勉強すればいいのでは?と軽く考えています。スポーツや習い事で好きなものがあればそっちに専念してもらってもいいし、日本語補習校は本人達がことさら日本語に興味があるとか、ほかに興味がなければ行けばいいんじゃないかと思います。今日本語なのは、スキンシップが重要な今の子育て段階では、母親である私にとって日本語の方が子育てしやすいから、という理由が大きいです。
Q:趣味やはまっているものはありますか?
趣味と呼べるものはあんまりないかもしれませんが、出産前はよくホットヨガに通っていました。女の子の洋服を選ぶのはとても楽しいですね。後、子供がいない時代が長かったので未だに独身や子供がいない友人が多く、ヒマさえあれば飲みに行ったりしています。最近では小さな家庭菜園をやっています。お兄ちゃんは野菜大嫌い、妹は野菜大好きですが、野菜の収穫は2人ともすごく楽しそうです。夏はきゅうり、トマト、なすび、ピーマン、紫蘇などが定番です。今は、ファーマーズマーケットで買ったリンゴとアボカドの種を発芽させていてだいぶ大きくなり、庭に植えるのを楽しみにしています。兄は果物が大好きなので、りんごの木をすごく楽しみにしているようです。
Q:今後の夢は何ですか?
旅行はたくさんしたいと思っています。今年の冬は2人を雪山デビューさせる予定です。子供達が大きくなったら4人でマージャンなど?
【インタビューを終えて】
寝たきりの義理のお母様が何度も救急病棟に運ばれるという大変な状況下で不妊治療を試み、自然妊娠で二人のお子様に恵まれた瑞穂さん。私自身も義理の母の体調が優れない時に出産したので、それでも「子どもは別腹だった」という言葉にとても共感できました。子どもは家族にとって想像以上の「希望」になるんだなと思います。そしてなかなか話にくいトピックだと思いますが、不妊治療についても体験を詳しく語って下さり、こういう実際の体験に励まされる人は沢山いるのではと思っています。最後に、海外子育ては大変なことも山程ありますが、アメリカだからこそのびのび子育てできていると語る彼女の前向きさに励まされるママも多いはず。インタビューにご協力本当に有り難うございました!