名前:スミス ユキヨ
居住地:Los Angeles
経歴:
19歳 ファッション通信を見てファッション業界に興味をもつが、何がしたいか分からない手探り状態のまま、とりあえず単身ニューヨークへ渡る。
21歳 コマーシャルフォトグラフィー学科卒業後、当時広告写真で有名だったJames Muray Studioでスタイリスト兼アシスタントフォトグラファーとして大手化粧品会社のウインドー、ファッション雑誌、ニューヨークタイムズ紙の広告写真などを撮影。クリスマスカタログを撮影してる時、Issey Miyake のコートの美しさに感動してファッションを学ぶことを決意。
22歳 ニューヨークのファッション総合大学名門校 Fashion Institute of Technology (FIT) の国際貿易・マーケティング学部に入学。
25歳 卒業前にDonna Karan International で インターンシッップをして仕事のオファーをもらったが、日本のアパレル会社に就職をしたく卒業後日本で就活開始。 駄目元で面接に行ったイッセイミヤケ株式会社の社長面接で、総合職として即採用決定。最終的にはコレクションブランド担当者として、パリでのファッションショーの運営をする。
31歳 結婚を機に 南カリフォルニアへ移住。西海岸ブランドとして人気のある BCBG Max Azria Groupでプロダクションコーディネーターとして入社。
33歳 アメリカ不景気の後、 アシスタントマネージャーへ昇進。
36歳 妊娠発覚し「産まれる前に昇進して、給料上げないとダメだ」と思い、妊娠中でも夜10時までの残業もありでの全力投球で仕事をし、産休1ヶ月前にマネージャーへ昇進。
37歳 出産、育児、仕事、離婚裁判書類作成などでの超多忙の日が始まる。離婚確定まで2年かかる。
39歳 以前から一緒に仕事をしたかった、元カリスマスタイリストが立ち上げたブランドの会社から、声がかかり 社長面接で 即採用決定。2015年 1月から、プロダクションマネージャーとしてA.L.C LTD で働く。
お子様の年齢:2歳半(女の子)
南カリフォルニア暦:9年
Q: 育児ポリシーを教えてください。
自分の言葉に責任持つことを教えること。 ズルイことをして欲しくないし、自分でやるといってやったことの責任を持てる人になってもらいたいので、例えば「~したい」ということに関しては、片づけまで含めて全てやりきるようにしてもらっています。 小さい子としては接してはいないですね。一人の人間として普通に接しています。 誤魔化そうとすることはさせない、小さい約束を守らせる、それを一番気をつけています。
Q: 母親としてのローモデルは誰ですか?
自分の母親と彼女のアドバイスですかね。 実家の母はお嬢様育ちで専業主婦で外で働いたことがありませんでした。おっとりして世間知らず、毎日ニコニコしてる人なんですけど、ある日すっごく真面目な顔した母から、「旦那さんに養ってもらっていると何か言いたくても意見が言えなくなるから、自分の足でちゃんと立てるように人生設計立てた方がいい」とアドバイスされました。何度も言われてきたわけじゃないんですけど、どういうわけか、その時の母のアドバイスが私の人生に大きく影響しています。(因みに、うちの両親は、仲良しですよ。)
Q: お母さんになって変わったことはありますか?
時間の使い方も仕事も全てにおいて、ちゃんと考える時間を少し持ってから、実行してます。 何かをする時に、後で同じことを絶対したくないので、次は楽できるように考えて仕事と家事をしてます。(笑)
Q: 仕事とママの両立してよかったと思うことは?
私は働くのが好きなので、仕事する必要があるのは良かったです。シングルマザーになって、パパ・ママ・仕事・家事、自分のすべき役割が多くて、とにかく暇な時間がありません。 だから、むしろ無駄なことを考えなくて、変なストレスを感じることもないのは良かったです。
Q: ワーキングママに何かアドバイスはありますか?
自分の好きなことをやって、結婚したからそれを「やめなきゃ!」って考えなくてもいいし、子供がいると自分が 仕事してることに関して罪悪感を感じたりするのもあるけど、仕事は生活をする為にしてるから、子供に 「仕事して、ゴメンネ」とは 絶対言わないこと。 後、どんなに腹煮えくり返っても、子供のお父さんのは悪口は絶対に言わないこと。
Q: 仕事と子育ての両立して大変だったと思うことは?
とにかく時間管理。今は通勤に渋滞で約1時間かったり、事故や雨などで運転時間が変わってくるのが本当に大変だし、夜10時までの残業必要時期はうちの母親が日本から来てくれてなかったら。。。乗り切れなかったです。 後は、娘が2歳になるまではデイケアの選択肢がなさ過ぎるのと、デイケア代がアパートの家賃より高かったのが、本当に大変でした。。。
Q: 出産直後という大変な時期に、離婚を決意した時の気持ちを教えて下さい。
実際離婚になった時はぶっちゃけ気持ちが楽になりました。ある程度我慢の限界を超えて、相手に何も期待できないって確信した時だったし、もう一緒にチームワークできない相手だなと感じたので、気持ちはスッキリ切り替えて、新しいプロジェクトみたいな感覚で、子供のことを中心に物事を進めました。基本的に、無視して子供のためとかいって一緒に生活して喧嘩三昧になるよりは、離婚して一線引いた距離感で接すると、喧嘩もなくて子供にはいいという考え方でした。子供のお父さんの悪口は絶対言わないって自分の中で決めていたので、それを守るためにも離婚が必要でした。重荷がとれて羽が伸ばせた感じでした。
Q: バイリンガルにするように気をつけていることはありますか?
家では日本語、テレビは日本語(アンパンマンとジブリ)、プレイデートを日本語でするようにするように心がけています。3ヶ月~1歳1ヶ月まで、母が日本から3カ月滞在してない時は、リトルトーキョーの個人宅でのデイケアに通っていました。一歳半からは、ちゃんとお勉強できそうなモンテソーリのプリスクールに通わせてます。 娘は英語と日本語両方理解できますが、受け答えはたまに簡単な日本語が出る程度で、ほぼ英語です。
Q: 日本語学校には通わす予定ですか?
バイリンガルにはなって欲しいので、日本語の学校かフランス語の学校に通わしたいと思っています。日本語の学校は、お迎え時間が早いので無理っぽいですね。 フランス語な理由は、お父さんがおもちゃデザイナーで自分がアパレル業界で働いているので、将来彼女が英語・日本語・フランス語話せたら、アパレル業界に就職したい時に役立つかなという理由でフランス語も視野に入れています。
Q: 今後の夢は?
もっと頑張って理想の家を買いたいのと、娘を自分でちゃんと考えて行動できる自立した自由な女性に育てること。 女一人だから、できないってことはない。ちゃんと頑張ったらこんなこともできるんだよ!って見本になれたらいいな、と思っています。
【インタビューを終えて】
初めての子育てと仕事と離婚とを一気に経験されたユキヨさん。大変な苦労をしたはずなのに、全然愚痴っぽくなくて、むしろ経験から学んだと前向きに語ってくれました。母は強しというけれど、強い母は同時に優しいんだと彼女と話していて思いました。子供としてではなく一人の人間として接しているという子育て論がとても印象的で、彼女らしくてとても好きです。今までニューヨーク・東京・ロサンゼルスで着実に夢を叶えて続けてきた彼女。これからも女性としてもママとしても、夢を叶えて続けていく姿が目に浮かびます!